(平成2年4月1日 廃止)
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NOMURA NISHIWAKI ICHIHARA HAYASU SOGAI NAKAMURAMACHI KAJIYA
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JR加古川線
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鍛冶屋線の前身は播州鉄道で、大正2年に現在のJR加古川線でもある加古川〜野村(現在の西脇市)間が開通した事で歴史が始まる。その後、野村から福知山への延伸が計画され、大正12年に野村〜鍛冶屋までが開通し、これが国有化後に鍛冶屋線となった。加古川線の支線だったものの、ほとんどの列車は鍛冶屋から加古川まで直通運転されていた。又、途中に西脇の中心地を通る事から、西脇駅から加古川方面への区間列車も運行されていた。その為に、西脇以南は需要があり、そこそこ乗客数も多かったものの、西脇〜鍛冶屋間はやはり赤字盲腸線的存在だった為、特定地方交通線に指定され、平成2年4月に70年の歴史に幕を閉じた。路線はバス転換され、鉄道施設は10年の歳月をかけて撤去されてしまった。本来なら需要のあった野村〜西脇間は残しても良かったと思われるが、当時の廃線は路線単位だった事から一部廃止ができなかったという事情があったとの事。この為、西脇市街に鉄道が走らなくなり、JR加古川線野村改め西脇市駅が市の代表駅とされているものの、市街から離れているので不便という印象は免れない。
廃線跡はサイクリングロード、あるいは歩道付き自動車道路として整備されたが、駅跡地では記念館やモニュメントなどが建てられ、当時の姿を偲ばせている部分もある。
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