山陽電車2000系
sanyosha2000_000.jpg
TOP画像:2012F(撮影 平成14年10月20日)
2000系唯一で、日本初のアルミ車 2012F。廃車後も長らく東二見車庫で保存され、平成14年の山陽・鉄道フェスティバルで見事復活。
どんな車輌か
 昭和31年、山陽電車初の高性能車として登場。将来の神戸高速乗り入れの際、当時は阪急&阪神の電圧が600Vの為に、1500Vと600Vの複電圧構造となっていたが、後に阪急と阪神の1500Vが決定した事により600V対応の必要がなくなり、複電圧構造の回路の複雑さからメンテ上ネックになった事から、3000系にバトンタッチしている。2次車(鋼体)と3次車(ステンレス)の5編成はクロスシートを採用し、特急として華々しく活躍するも、以降の車輌はロングシートで増備、クロスシート車も2編成(ステンレス含む)はそのままロング化へ、残り3編成は電装解除され3550形となり3000系に組み込まれた。足回りは3200系に流用されている。
 昭和43年の特急4連運転と共に主役は3000系に移行し、3連の2000系は普通車用として格下げされた。そして冷房化が困難な事から、平成2年に5000系に置き換えられて引退した。廃車になった後も解体されずに東二見車庫に配置されていたが、5030系の大量投入によりほとんどが解体され、アルミカー1号の2012Fとステンレスの中間車が残るのみである。
 
少ない車両数、なのに豊富なバリエーション
 2000系は最終的に3連8本の計24両が在籍。3000系が山陽車両の大半を占める中、比較的少数形式である。にもかかわらず、編成ごとに様々なバリエーションが存在。その内訳は、車体(鋼製・ステンレス、アルミ)、座席(ロングシート・クロスシート)、側扉(2扉・3扉。さらに編成内で両方が混在)、窓の大きさ・配置、そして正面のデザイン(非貫通構造と貫通構造、ヘッドライトが電球(後にシールドビーム化)or 当初からシールドビーム採用)など。2次車にて4編成量産された以外は1グループ1編成という統一性の無さ。これは山陽電車の高性能車導入に当たって手探り状態であった事や、高度成長期による需要の変化(250系製造過程での設計変更で誕生した普通車専用ロングシート編成→820系の後継としてクロスシートに変更、後にラッシュ時の乗客増加への対応の為に再びロングシート化、等)による事情を反映している。
 
メンテナンスに難あり
 前述の通り、乗り入れ先の阪急阪神が当時600Vの架線電圧であった事から、自社の1500V区間も含めてハイブリッドで走行できるよう、両方の制御器を搭載。その為、回路が複雑化してしまい、故障も多くメンテナンスに難ありであった。結局、神戸高速線の開業までに阪急阪神の架線電圧が1500Vへ昇圧され、以降は1500V専用の3000系に移行。2000系の複電圧構造は無用の長物と化し、3000系が増えるにつれて2000系は次第に保守の大変な厄介者扱いとなっていた。一部は電装解除にて3000系に編入されるも、残った編成は原型を留めながら廃車まで使用され続けた。
 
様々な実験要素を持つ
 2000系は山陽電車初の高性能車、一般的には820系/850系に代わる特急用ロマンスカーのイメージが強いが、一番最初に投入したのは実は普通車専用のロンングシート。元は100系の足回りを流用し、車体を新造していた250系の258-259製造予定のを計画変更したものである。その際、「私鉄標準車体仕様書」に基づいて製造されたモデルケースであった。結局、その「私鉄標準車体仕様書」は定着せず、2編成目以降は独自規格にて製造される。
その他、塗装コスト削減の為の無塗装化を目的にステンレス車体を採用したり、さらには川崎車輌とドイツの企業による開発により実現した、日本初のアルミ車体の採用、さらにそのアルミ車体と同一見付でステンレス車体を製造し、性能比較実験をするなど、様々な研究を重ね、後の3000系や5000系への橋渡しを実施している。
 
廃車
 日本初のアルミ車体採用などの明るい話題がありながらも、やはり電装機器の複雑化による保守面の問題があり、後の3000系にて実施された改善策(方向幕の設置、冷房化、その他)は施されなかった(方向幕についてはそれより旧い釣り掛け車同様、正面にのみ設置)。5000系の増備により釣り掛け車を一掃。そうなると2000系についても旧態依然とした接客レベルであり、3000系以降の車両との落差が激しい事から置き換え対象となり、平成元年の5000系追加投入にて置き換え、廃車された。2000系最終増備から2年後に製造された3000系1次車が登場後40年以上経過した今も現役で活躍されているのとは対照的に、比較的早い廃車であったと思われる。さらに、3000系の付随車に編入されたグループは一部を除いて2000系基本編成消滅後さらに20年近く使用された事を考えると、明暗を分けた結果となっている。日本初のアルミカー3012Fは最後まで残ったものの、平成2年にさよなら運転にて有終の美を飾った。以降も東二見車庫にて車体は解体されずそのまま残っていたが、5030系増備の際に大半は解体処分。2012Fは現在も1編成ごと残ってイベントにて使用。2014Fの中間車は倉庫として今も使用されている。主電動機については3000系(3200系化)や2300系に転用され、今も使用されている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1次車(2000F)
 昭和31年、本来の250系2両投入計画を変更の上、投入。その為に普通車中心の2扉ロングシートとなったが、特急にも使用できるように低い座面となっている。前面非貫通、ヘッドライトは丸い電球1灯だったが後に丸いライトケースのままシールドビーム2灯化されている。この編成のみ前面窓のHゴム取付時に運転台側の窓が小窓化されている。「私鉄標準車輌仕様書」に基づいて製造された唯一の車両であり、窓の配置にその特徴を伺える。当初は全電動車2連ながら主電動機の出力は110kwはオーバースペック気味だったが、当初から付随車1両を組み込んだ3連運用を前提としていた為のもの。しかしながら3連化されたのは後年の話であり。2次車以降の付随車を適当に組み込みながら(ステンレス付随車と組んでいた事もあり)、最終的には6次車の付随車(鋼製で3扉ロングシート)と組んだ3連に落ち着いている。
 
2000F
 
2次車(2002F〜2008F)
 昭和32年より投入。特急用だった820系/850形の後継という形での投入となり、転換クロスシートを採用。それに伴う窓配置の変更(シートピッチに併せて狭小化)、私鉄標準車両仕様書準拠の2000Fから大きく路線を変更している。シリーズで唯一の量産型である。2008Fは当初クロスシートだったが、スレンレス車体の2010Fにシートを転用した為にロングシート化。これが以降明暗を分ける事となり、クロスシートだった2002F〜2006Fは混雑での使いにくさと電装の複雑さによる保守の困難が相まって、電装解除・3扉ロングシート化、その他3000系ど同仕様に改造の上、3000系の付随車(3550)へ編入、一部は3000系と共に冷房化されて平成15年まで使用されたのに対し、ロングシート化された2008Fは2000系のまま、6次車を組み込んだ2扉3扉混結の3両編成として1次車と共に生き残るも、非冷房のまま5000系に置き換えられて平成元年に廃車となった。
 
3次車(2010-2500-2011)
 昭和35年に投入。塗装コスト削減の一環としてステンレス車体を採用。ステンレス車体と言っても、外板のみステンレスでその他は鋼製の「スキンステンレス」であり、東急が後に実用化し、近年の車両のメインとなった軽量低コストの「オールステンレス」ではない。試作的要素もあり、3008Fの3連化に向けて先に付随車2500を製造。その半年後に基本編成の2010Fを製造している。無塗装の銀車体に、赤の警戒色をまとった姿は以降の山陽電車の無塗装車両のベースとなった他、コーポレートカラーに赤を選定する一因にもなっている。窓配置は2次車とは大きく異なり、片開き扉は先頭車については全て連結面方向に開くという特徴を持つ。先頭車の前面は2000系では初めて貫通構造となり(釣り掛け車の270系や300系と同様の外観)、ヘッドライトは当初は丸い電球1灯ながらもライトケースは四角のものを採用している(後にシールドビーム2灯に変更)。先行製造された付随車は2次車に準じて転換クロスシートを採用、その後基本編成もクロスシートで登場したものの、この頃になると混雑の激化によりロングシート投入が検討されていた時期であった。しかしながらステンレス車体でどうしてもクロスシート車としてデビューさせたいという願いから、2008Fのシートを流用という形に落ち着いた。結局はこの編成もロングシートに改造されてしまった。
2010Fの付随車…ならば本来なら「2505」になる筈だったのだが、先に試作車として付随車が登場した事や、1次車と同仕様の付随車は登場しないという前提の上で2500となったが、この事が後に付随車の付番方法に混乱を招き、結果的に2501が欠番となっている。
 
2010F
4次車(2012F)
 昭和37年に投入。山陽電車として、そして日本の鉄道会社で初となるオールアルミニウム車体を採用。製造コストは高かったものの、従来の鋼製車両に比べて軽量化に優れ、無塗装化も可能であり、塗装の手間を省けて軽量化による性能向上は山陽により好都合であり、以降も3000系にて途中の製造中止時期を経て現在の5000系・5030系へ採用され続け、「アルミ車体の山陽電車」の基礎を作り上げている。川崎車輌とドイツのWMD社の提携により開発されたもので、実験車的要素もあり貫通路渡り板なども含めて金属部分の殆どをアルミ化されている。
この頃になるとラッシュ時の混雑の激化で2扉ロングシートでも乗客をさばききれず、山陽で初めて3扉ロングシートを採用。他社では既に両開き扉が採用されており、当系列でも両開き扉を検討していたが、結局は片開き扉のままドア面積を拡大する事に落ち着いている(その後、昭和39年製造の3000系にて両開き扉を採用)。前面は2010Fに準じた前面貫通型だが、ヘッドライトは当初からシールドビームを採用、その為にライトケースは横長のものを採用している。
平成2年にさよなら運転にて引退、廃車となったが、車体は東二見車庫で当時のままの状態で保管。平成14年にアルミカー生誕40周年イベントにて歴代アルミカーとして現役車両と共に展示(方向幕については現行の英字入り黒幕化されたのを使用)、以降も車庫の片隅にて当時の編成美を保った状態で保管されている(車籍が無い為に本線での走行は不可だが、自力走行可能?)
 
5次車(2014F)
 4次車と同時期に投入。ステンレス車体(2010Fと同じスキンステンレス)である以外は2012Fと同一外観、同一仕様となっている。アルミ車体とステンレス車体の比較実験の為に製造されている。実験の結果、コストはかかるが軽くて丈夫なアルミ車体に軍配が上がり、そちらがメインとなった為、以降現在に至るまで山陽電車にてステンレス車体は導入されていない。しかしながら現在はオールステンレス車の技術進歩により低コストで軽量化できる事から、今後の山陽電車の車両新造にてどちらを採用するかは不明。
廃車後はしばらく車体のみ東二見車庫にて放置されていたが、6両編成特急の増加で車庫が手狭になった事から大半の廃車体が解体処分された中で、付随車(2506)のみ解体されず、倉庫として使用中である。
 
2014F
 
6次車(2507、2508)
 2000系で2連で残っていた鋼製車の3連化の為に投入。鋼製車体ながら、4次車以降の中間車に準じた3扉ロングシートとなっている。2700系2次車(=2300系)の車体はこのグループをベースとしている(但し、車体全長は異なる)。2次車が3550へ編入後もこのグループは2000系のまま、2扉の基本編成と組んで最後まで活躍した。
exit.jpg