山陽電車2300系
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TOP画像:2302F(撮影 平成3年年12月26日)
飾磨駅で発車を待つ、普通 網干行き。ワンマン化前なら、3連であれば何でもOK(5000系が乗入れていた事もある)だった。
どんな車輌か
 昭和51年、釣り掛け式の2700系に3000系の足回りを組み合わせて高性能化した車輌であり、3両編成2本が登場。従来の神戸から1+2両を3両固定化する際に中間車の運転台が撤去された他、側面の電動行先表示器も取り付けられていた。2000系以前の旧型車が新車置き換えにより消滅する中、3000系の足回りを持つ2300系は冷房改造、塗装変更により生き残り、3000系や5000系の合間を縫って旧車顔+片開き扉固定編成で走っていた。登場時から電装解除→3000系付随車への編入まで、3連で普通運用主体で使用。以降は3000系の一部として使用されたが、平成15年2月、再び普通車の3連運用増加により3550と共に3000系からはずされ、2両を残して廃車。残り2両もしばらく休車扱いで残るが、現役運用に復帰することなく、平成16年末に廃車され、戦後復興車両700系より始まった2300系の歴史は幕を閉じる事になった。
 
オイルショックの影響にて…
 昭和48年のオイルショック以降、不況により新車が製造できない事態が生じた。3050系の製造も一時ストップしたものの、当時数多く残る釣り掛け車の置き換え問題も深刻化していた。苦肉の策として、比較的車体が新しい(昭和42年製であり、3000系1次車よりも新しい)ながらも、足周りの旧い2700系を3000系と同一性能の高性能車両に改造する事で登場したのが当形式。2700系3両編成4本のうち、2本が2300系へ改造。その後は3050系の製造を再開した為にこの2本の改造に留まり、残りの2本は2700系のまま残された。尚、2700系のうち2両は昭和32年製の2扉車(2000系2次車がベース)であり、改造困難な為に避けられていたのではないかとも言われている(とは言っても、2000系2次車の3550改造という前例もある為、全く不可能という訳ではなかったとも思われるが…)。
 
大幅な改造
 元 2700系がM-Tユニットで、神戸方にMを足した3連であったが、3000系の神戸方2両が電動車、姫路方が制御車という配列とたまたま一致している。2300系化にあたっては、2両の電動車をユニット化、そして元々は先頭車ばかりの編成であったが中間に組み込まれた制御電動車は中間車両に改造されている。運転室の撤去→客室化(但し、立席スペース)をされていたものの、外観上は妻面が曲面である事や、運転室扉部分の窓がそのままの大きさ(但し、他の客室窓のように開閉可能な2段窓化)である事、室内天井の仕切りがそのままである点に面影を残している。さらに3000系の接客レベルに合わせる為、車外スピーカーや側面方向幕を設置している。さらに3050系に合わせて空気バネ台車や冷房装置取付も検討されたが、コストの面で見送られている(冷房化は平成になってから行われている)。運転台は低運転台のままであるが、3000系と同等の機器類を搭載した都合からか。運転室側の前面窓が上下寸法縮小されている(2000系の2000Fと同様)
 
シリーズ唯一の…
 3000系と同様の性能や接客レベルを持つ事から、2000系スタイルの当系列は唯一の生き残りとなった。そして冷房化、塗装変更、方向幕の黒幕化など、他の2000系以前の旧車では見られなかった近代化を経験している。特にクリーム1色に赤黒帯の新塗装は他の2000系スタイルには見られず、高運転台で両サイド曲面ガラスの外観である3000系が多い中で異彩を放っていた。又、3000系中間車化された元2000系があったものの、編成単位で残る最後の片開き扉車でもあった。
 
時代の波には勝てず…
 元々は3000系性能であり、その気になれば中間付随車を組み込んだ4連での使用も可能であったと思われる。しかし、実際には3連普通の運用のみでの使用であった。5000系の増備にあたって主電動機を提供する為、2000系の廃車発生品に差し替えられる(2000系や3200系と同一性能化)。その為、低出力化により3連までの運用に制限される事となる。以降も変わらず3連普通、網干線で活躍を見せるが、網干線ワンマン運転開始により対応車のみの運用となり、ワンマン対応されなかった同系列は網干線から撤退。本線普通運用も4連運用の増加により活躍の場が狭くなっていく。さらに直通特急運用開始により従来の阪神阪急乗り入れ便を普通で賄う事により、乗り入れ協定の都合上日中の普通は全て4連という運用となる事から、ダイヤ改正を前に2300系としての運用を終了。電装解除の上で3560となり3000系の中間車となるも、今度は阪神阪急乗り入れ協定の変更で3連の乗り入れが可能になった事から3連の増加と共に運用離脱→あっけなく廃車という運命をたどる。
 
もしワンマン改造が行われていたら、網干線で今も活躍しているかも知れない。もし最初から3連で阪神阪急に乗り入れ可能なら、2300系として阪急阪神に乗り入れていたのかも知れない。そして廃車される際には最後の片開き扉車という事もあり、さよなら運転にて有終の美を飾ったのかも知れない。いずれにしても、3560への編入はある意味不運と言えるかも知れない。しかも、3550の電装解除時や2700→2300系改造時の元先頭車の中間車化と違い、運転室や運転台は撤去されず思いっきり先頭車の面影を残したまま使用という何ともお粗末な姿だっただけに、余計に悔やまれる。
 
2000系との違いは?
 元は2000系の車体+700系の足周り=2700系、そして2000系の車体+3000系の足周り=2300系であるが、後に主電動機の2000系化により、2000系の車体+2000系の足周り=2200系?2000系?となってもおかしくないのだが、結果的には2300系のまま改番は行われなかった。もっとも、実際には「2000系の車体に3200系の足周り」であり、純粋な「2000系」とは意味合いが異なる。
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番号不明
 
2300F
 
2302F
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