山陽電車300系
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どんな車輌か
 100系の270系化により、大型車両が8割程揃う事になったが、残った200系にも早急な大型化を余儀なくされ、なるべく製造コストを切り詰めて昭和37年に登場。台車機器やブレーキ装置など、可能な限りをそのまま流用した結果、全長15mのままで幅を2.4mから2.8mへ拡幅したのみとなっている。その上で3扉配置となった為、ドアと窓の配置に苦労の跡が見られる。他の車両と比べて全長が短い為、4連で19m車の3連分に相当した運用が行われていた。3050系、5000系の増備により廃車が進み、昭和61年には形式消滅している。
 
大型化にあたって…
 コストダウンの為、かつて神戸姫路電気鉄道所有の大型車(幅2.74m)を真っ二つに切断した上、幅2.4mに縮小した上で溶接し、小型化したのとは逆に、200系の車体を真っ二つに切断し、車体幅を継ぎ足した上で幅2.8mに拡張して溶接し直すという、200系の車体を生かす案も検討されたが、強度の問題により断念。車体を新造するという案に落ち着いている。
 
made in 山陽電車
 初回製造分については、さらなる製造コストの削減を目的に、川崎車輌で製造した車体を自社明石工場(かつて西新町駅西側にあった)に持ち込み、艤装を行った。その為、その製造分のみ製造所銘板に「山陽電車」と書かれていた。しかしながら、車両検査の合間での艤装作業ゆえ、工期がかかり過ぎる為に、その後の製造は車体新造・艤装作業共に川崎車輌にて行われている。
 
当社釣り掛け車唯一の中間車
 全長15mで他の車両より短い車体長ゆえ、当社の釣り掛け車で唯一、4両編成が組まれていた。当系列の4連は19m車の3両編成より少し長い程度である。中でも330は当社釣り掛け車で唯一の中間車。短い車体ながら運転台が無い分、収容力で重宝し、廃車が進む中で最後まで活躍していた。
 
ラッシュ時には重宝したが…
 短い車体ながら3扉を採用し、長編成を組んだ事により19m車の3連普通より多い収容力を持つ当形式は、ラッシュ時には最大の威力を発揮した。そういう意味では、全長20m 4扉の700系に次ぐ最強のラッシュ車と言える。しかしながら、その分座席が少なく着席定員が少ない事や、足回りなどの部品を旧型からかなり流用した事により、乗り心地は決していい物ではなかった。3050系の冷房車が増備されると、接客レベルの見劣りが激しくなり、早々に置き換えの対象となってしまう。しかしながら、その途中で編成組み換えを実施し、比較的後年に製造された車両は中間を運転台無しの330に集約した上でラッシュ車として引き続き使用され、5000系登場により置き換えられるまで使われた。
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1次車(300〜305)
 前述の通り、車体は川崎車輌で製造、艤装は山陽電車明石工場にて行われた「made in 山陽電車」。ヘッドライトが旧 200系と同じ外付け式となっているのが特徴。後の2次車登場後は中間に組み込まれる事が多くなり、先頭に立つ機会は無くなっていた。
 
2次車(306〜321、330〜335)
 車体新造、艤装共に川崎車輌で実施したグループ。ヘッドライトは埋め込み式となり、270系に近い外観となっている。一部の車両には正面方向幕も設置されている。シリーズ唯一の中間車もこのグループ。
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