山陽電車3000系
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TOP画像:3030F(撮影 平成19年3月26日)
 霞ヶ丘駅構内に進入中の3030F。旧 2000系を中間車化した3550を組み込んだ凸凹4連でおなじみだったが、3550廃車により今は3連で活躍。
どんな車輌か
 昭和39年、神戸高速乗り入れの際に阪急・阪神の電圧が1500Vに将来統一される事から、1500V専用の車輌として登場。前面は踏み切り事故による運転士の被害を軽減する目的で高運転台を採用、両側の窓は曲面ガラスを採用し、見た目は国鉄151系や113系などの近郊型車両に似た形状となっているのが特徴。最初の2編成はアルミ車輌で製作。昭和42年増備の第3編成以降は大量生産によるコストダウンの為に、鋼体で製作される。昭和43年以降の増備車輌には正面に手動の、側面に電動の行先表示器、車外スピーカーが設置され、従来車にも改造により取り付けられている。後期の車輌は2000系から編入の3550を組み込んだ4連で走る姿もあったが、3550の廃車、3500T車の運用離脱(一部は3050へ組み込み)により大半が3連化され、普通車の運用が中心となっている。
 
冷房装置の取り付け
 昭和47年以降の製造は新製冷房車の3050系へ移行、非冷房として製造された3000系についても冷房改造が行われている。3050系が集約分散式(天井に冷房機を4機搭載、車内にて天井にダクトを通し、ダクト内で一旦集約された後に各吹き出し口(スポット式)から冷気を放出する方式)なのに対し、改造冷房車は分散式(各冷房機ごとに吹き出し口を設ける方式。天井の大掛かりな改造や補強を必要とせず低コスト)を採用(中間電動車以外について)。一方、パンタグラフ付の中間電動車に関しては大型冷房機1機搭載による集中式(こちらは天井にダクト取り付け。3050系のダクトに類似)を採用(菱形パンタグラフの設置面積の都合で分散冷房機の設置に制限がある。3050系については下枠交差式パンタグラフ設置にて回避)。昭和60年頃までに4連の特急運用分を中心にこのメニューで冷房改造を行っている。一方、普通用として冷房化を後回しにされた3連ユニットについても冷房改造は行われたが、こちらは電動車、それ以外を問わず大型冷房機1機搭載の集中式(但し、5000系登場後の為、それに準じた吹き出し口(ラインフロー式))を採用。3500の度重なる編成組み換えにより、搭載冷房機が編成にて不揃いという状態となっていた。
 
方向幕
 3次車より方向幕を正面と側面に採用。それまでの非搭載車にも順次設置されている。側面は新製取付、改造共に違いは無いが、正面は新製取付はツライチなのに対し、改造取付は車内の機器類との干渉を避ける為に出っ張った形状となっている。後述のリニューアルにて、新製取付と同様のツライチ化されたものもある。
正面方向幕は手動なのに対して、側面方向幕は指令機による電動操作。昭和43年当時にて電動方向幕を採用しているのは関西では少なくとも山陽電車が初である。当初は17コマしかなく、4連は特急・急行用、3連は普通中心用の方向幕を使用。編成組み換え時に必要に応じて交換していた。3050系途中にて40コマの指令機を採用しているが、指令機自体も必要に応じて交換可能で、時に40コマ方向幕を装備した3000系も存在していた。リニューアルにて、新型指令機へ交換、正面も含めて電動化、40コマ化されたものもあるが、未だに17コマ方向幕装置も存在している。
 
塗装
 アルミ車両は無塗装+赤帯が基本、鋼製車両は当初はクリーム+紺のツートンカラーであったが、昭和60年代よりクリーム1色塗装に赤+黒の帯(フィルム製)となっている。3619のみ、3100(アルミ車体、無塗装)に合わせる形で灰色+赤帯(アルミ車両風塗装)となっている。
 
3200系への編入
 5000系の増備途中にて、3000系と共通の主電動機が製造中止で入手困難となり、自社で賄う必要が生じた。その為、廃車にて余剰となった2000系用の電動機に載せ替え、3200系に編入した車両が存在する(これにより捻出した3000系用主電動機を5000系に転用)。3000系よりも低出力ゆえ3連までしか組めず(3000系4連の2M2Tを組むと力不足)、普通車専用となっている。3200系の姫路側制御車は3000系と共通。
 
ワンマン装置取付
 網干線ワンマン運転実施の為、3200系5編成(当時)と共に、2編成を対応改造。自動放送の取り付け、ドアチャイムの設置の他、運転室からの後方視界向上の為に曲面ガラスの仕切りを廃止するなどの改造を行っている。3000系のうち、1編成が3200系化した為、3006Fが3000系で唯一のワンマン車となっている。
 
リニューアル
 車齢30年以上が経過するも、当面は新車への置き換えが困難な為、2次車以降の3連を中心に(一部は4両編成)リニューアル工事を行っている。正面方向幕のツライチ化(2次車のみ)、側窓の黒サッシ化&連結面2連ユニット窓の大型1枚固定窓化、内装や床の張替え、車内銘板のシール化&ピクトグラム表示、車椅子スペースの設置、連結面貫通ドアの更新等、従来の暗い汚い山電3000系のイメージを一掃している。その後、テールライトなどのLED化、正面方向幕の電動化等のメニューも追加されている。
1次車(3000F〜3002F)
 昭和39年、3両編成2本を投入。昭和43年に付随車2両を追加投入。基本編成に組み込み4連化。以降は付随車の抜き挿しを繰り返し、現在は基本編成は3連化、付随車は3050系アルミカーに組み込まれている。
2000系2012Fと同様のアルミ車体を本格採用。側窓は独立型の2段窓、運転席後ろにもシートを設置、蛍光灯カバーの設置など、当グループ唯一の特徴を備える(蛍光灯カバーは後の冷房改造によりカバーレスタイプに変更)。赤帯は前面も含めて細いものであったが、昭和60年代以降に3050系アルミカーと同様の太めの前面帯に変更している。山陽電車の旅客営業用車両としては最古のグループとなっている。
 
3000F
 
3002F
 
2次車(3004F〜3018F)
 昭和42年より、神戸高速鉄道開業に向けて大量投入。短期間で大量に製造する為、そしてアルミ車体の製造にコストがかかる事から、普通鋼製にて製造。側窓はユニットサッシを採用し、以降の山陽車両のトレンドとなる。方向幕、車外スピーカーは新製当時は未設置で、3次車登場以降に設置されている。その際、正面方向幕は前述の通り出っ張った形状となっているのが特徴(リニューアルによりツライチ化したものもある)。3006Fはワンマン改造、3010Fはワンマン改造の後、2000系用の主電動機(2300系から捻出)に交換の上、3200系(3210F)へ編入されている。
 
3008F
 
3014F
 
3016F
 
3018F
 
3次車(3020F〜3036F、その他3200系の姫路方先頭車)
 昭和43年以降に追加投入されたグループ。先に姫路方制御車(360x)を先行増備の上、2次車へ付随車として使用。その後、基本編成を増備している。このグループより正面・側面に方向幕装置、車外スピーカーを設置している他、中間電動車のパンタグラフ部を切り下げた低屋根構造となっているのが特徴。大量投入した360xについては後に3200系用に転用した他、2000系を電装解除・付随車化した3550を組み込んだ4連が多いのも特徴である。3034Fと3036Fは廃車となった2000系の主電動機と交換の上、3206F、3208Fへ編入されている。
 
3026F
 
3032F
3550系(3550〜3559)
 昭和44年、2000系2次車のうち、2002F〜2006Fの3連3本 計9両を電装解除、元先頭車の中間車化や、3扉ロングシート化、ブレーキ等の3000系仕様への改造、側面方向幕の設置により、3000系付随車として編入したもの。撤去された主電動機は3200系(3200F〜3204F)に転用している。3000系2次車や3次車に組み込まれ、凸凹編成ぶりを発揮していた。昭和60年までに基本編成と共に6両が冷房改造(分散式冷房機)され、非冷房で残った3両については冷房取付、新塗装化されないまま廃車される(うち1両は救援車1500系に改造)。残った6両は引き続き塗装変更の上使用されたものの、平成9年に2300系の電装解除・付随車化による3560投入により3両を置き換え、残り3両も一部休車しながらも交互に使用されていたが、平成15年に4連運用の減少→3連の増加により3560と共に運用離脱、そのまま廃車となっている。車体は廃車後も東二見車庫にてそのまま放置されている。
 
番号不明
  
3560系(3560〜3566)
 平成9年、2300系を電装解除、付随車化し、3000系付随車の1グループとして編入。車体経年の都合上、2000系→3550系や、2700→2300系のような大規模な改造は行わず、結果的に先頭車からの改造は運転台機能を停止、ヘッドライトを撤去して鉄板で塞ぐ程度の最低限の改造となり、先頭車の面影を大きく残している。元 中間電動車(さらに遡れば元 2700系先頭車)についても、パンタグラフを撤去したのみで、土台は残されたままであった。老朽化した3550を一部置き換えたものの、同時に4連運用を増加する必要があり(当時のダイヤでは直通特急の運用により従来の阪急阪神乗り入れは普通車が担当。日中は乗り入れ制約により4連が必要であった)、結果的には一部の3550はそのまま残る事となった。平成15年に3550と共に運用離脱。しばらく車籍は残されたものの復帰せずそのまま廃車となっている。車体は廃車後も東二見車庫にてそのまま放置されている。
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