山陽電車3100系
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TOP画像:3100F(撮影 昭和60年11月19日)
 板宿駅に停車中のアルミカー3100系。
どんな車輌か
 昭和59年、神戸寄り電動車2両ユニットのみの1編成が登場。将来の5〜6連化の為の増結車で、3101は中間電動車ながら簡易運転台、自動密着連結器が装備していた。当面の増結運用がない事から、余剰の3619をアルミ色に塗り替え、3連で運行していた。結局は6連運用は実現したものの5000系6両固定、本来の増結運用は叶わず、編成も3100+3101の1編成止まりで、3619と固定編成化された。途中、3542や3540を挟んで4連で運行される時期もあったが、結局は3連運用に落ち着いている。
 
別形式とはなったものの…
 元々、3050系の増結車両…という目的で投入された当形式であるが、中間電動車の簡易運転台、自動密着連結器の搭載以外は3050系3次車と殆ど変わり無し。試作的存在というのもあったかも知れないが、片運転台の増結車両は使いづらい。簡易運転台の中間車でなく姫路方運転室付の制御電動車による、単独2両ユニットの方がよかったと思われる。実際、3100Fは850形の最後の1編成の置き換え目的で製造されており、たまたま余っていた3619とペアを組んだ立派な3両編成に過ぎない。それなら(3074Fの続番という意味で)3076Fを名乗ってもよかったと思うのは筆者だけだろうか?増結計画もどこまで本気だったのかも疑わしい(もし実現したとして、暫定的に組んだ3619はどうするのか?増結しない時間帯は車庫で昼寝?とか)。今となっては自動密着連結器が陽の目を見ないまま、3101と3619の連結器は棒型連結器にて固定編成化。単なる3050系+3000系の混結編成という状態に終わっており、改めて「3100系」の意味を失っている。
 
3619について
 3000系3次車のひとつとして製造。半ば3018Fなどの付随車としての使われ方をされた後、昭和50年代後半頃は何と270系1次車(270F)の姫路方に3550と共に連結した状態で予備車として待機していたとか(実際、そんな混結編成で使用していたのか謎。)3100系とペアを組むようになってようやく陽の目を見るのだが、3100-3101のアルミ無塗装に合わせる形で灰色+赤帯の塗装となった(つまり、塗装アルミ車両の3066Fとは逆)。それ以外に、連結相手が3050系2次車以降の、空気圧縮機(CP)が両先頭車に搭載という仕様ゆえ、元々非搭載だった3619にもCPが搭載された(3000系や3050系1次車までのCPは神戸側先頭車に集中配置)。しかしながら、3619に搭載されたCPは3100に搭載されたHB-2000ではなく、3000系などと同じ旧式のC-1000を搭載。東西先頭車でCPの音が異なるという奇妙な光景となった。その後、C-1000は5000系に搭載されていたC-2000Mと交換、音は静かになったのだが…、実はこれ、元は270系などの廃車発生品なのであります(5000系のCPは新型のHS-20であるが、コストダウンの為に当初は姫路方先頭車には270系用のC-2000Mを搭載していた時期があった)。旧品をさらに旧品で置き換え、なのに静寂性は向上…
 
4連で走っていた時期もありました
 基本は3100-3101-3619の3連であるが、得意の付随車組み換えにより4連化されていた時期があった。
まず、平成7年に3074Fが3連化(3076Fと3078Fの併結6連運用の予備編成)、余剰となった3542を組み込んだ4連で使用。平成13年に3000系列による特急運用が消滅すると、3+3の併結6連運用も無くなり、3074F〜3078Fは再び4連化、3542は元の3074Fに返却され、3連化されました。
その後、平成15年に西二見第3踏切(廃止。現在その場所は西二見駅構内となっている。)の列車事故にて3070Fが大破。修理の為に運用離脱を余儀なくされるが、比較的軽症だった3540は早期修理の上、3100Fに組み込み、再び4連化される。ちなみに、方向幕については3100登場当初は40コマ、その後、17コマだった3076Fや3078Fと幕装置を交換、17コマ化されていたが、3540組み込み4連化時は3070Fに搭載していた40コマの方向幕を使用していた。3070Fは長期入院の末に見事生還し、無事に3540と40コマ方向幕は3070Fに返却、再び17コマ方向幕で3連の姿に戻りました(その後、3058Fの40コマ方向幕と交換の上、現在は40コマ方向幕を使用)。
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3100F
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