山陽電車820・850系
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TOP画像:821号(撮影 平成4年4月29日)
821号の廃車体。廃車後の車体を辛うじて拝めたのみ。管理人が物心ついた頃はまだ走っていたとの事だが、残念ながら実際に走っていた姿は見た事がない。
どんな車輌か
 昭和23年、戦後の兵庫〜姫路間 特急運用再開に向けて、転換クロスシートで登場。850系は820系の性能アップ版、共に特急を中心に山陽電車の看板列車として華々しく活躍し、2000系登場により主役の座を降りた。その後は270形と連結して3両で普通車として余生を送るが、昭和56〜59年にかけて、3050系増備により全廃された。
 
旅はこれでこそ楽しい
 戦後不況の厳しい状態の中で旧 国鉄モハ63形の割り当てによる800系(後の700系)投入により、車両不足による輸送力不足の危機を乗り切っただけではなく、地上設備の改良により大型車両の通行が可能となった山陽電車として新車投入の次の一手となったが、戦後の不況が落ち着き、新たなる需要の開拓として兵庫〜姫路間の特急運転の復活、そして転換クロスシートの採用により豪華な旅気分を味わえるという戦略は見事に当たった。兵庫〜姫路間を途中3駅のみ停車、所要時間は75分。現在の直通特急が姫路〜阪神三宮間を途中13駅停車でで最速62分で走行している事を考えるとかなり遅い(当時の釣り掛け駆動の走行性能なら致し方ない)が、ライバルの国鉄山陽本線が西明石〜姫路間非電化で、蒸気機関車が主力の時代において、特別料金不要で豪華な座席の電車特急を運行していた山陽電車は快適であった。兵庫駅や姫路駅の特急のりばは長蛇の列であったとの事。
 
820系の正式名称は、実は「800系」?
 820系の車番は、700系の旧車番「818-819」の続番にて付番されている。理由は定かではないが、後に旧 800系(800〜819)は700系に改番されている。800系は820以降の当系列を指すようになったが、一般的には「820系」として親しまれている。後に登場した性能向上仕様の850系と同一性能に変更されたが、改番されずそのままであった。
 
特急からの引退、普通車専用へ…
 昭和30年代になると、ライバルの国鉄山陽本線が姫路まで電化され、大阪からの直通運転の電車化により、山陽電車としては脅威の存在となっていた。その頃になると当形式の陳腐化、そして高性能車2000系の登場もあり、以降の特急専用車は2000系2次車で賄われる事となった。世代交代により当系列は普通車専用に格下げされる事となった。座席はロングシートに変更、正面は貫通構造となり、後の3連化の際には270系との混結が見られるようになった。昭和40年代には正面貫通扉に方向幕の設置、神戸高速線地下区間乗り入れの為の不燃化改造工事も実施されているが、700系と共に戦後の粗製濫造品であり、車体の傷みが激しく、更新工事も行われていない事から3050系に置き換えられる形で廃車。途中、西代車庫火災で被災し、車体新造により復旧した編成が最後まで残されたが、昭和59年に引退している。
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820系
 車番は800系(700系)の続番とされたものの、幅2.8mは700系と同様ながら、車体長17m 2扉の手頃なサイズとなっている。700系と同様の神戸方が制御電動車、姫路方が制御車の1M1Tユニットであるが、主電動機は90kwの控えめな出力のものを採用。あまりにも非力であった事から、後の性能向上版850系が登場、当形式もそれに合わせる形で出力を110kwに向上している。
最終増備の830-831については、830の姫路方連結面に簡易運転台を設けて単車での走行が可能となっている。
 
850系
 820系より出力を増強、鋼体の改良による軽量化を施したマイナーチェンジ車である。基本的なレイアウトは820系に準じている。
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