駅掲示時刻表1987〜山陽電車〜
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昭和62年ダイヤ改正は、特急が板宿駅に停車するようになりました。そして、朝ラッシュ時に従来の高砂発の区間運転の特急を「通勤特急」に改称の上、停車駅を高砂から東二見まで各停・藤江・明石・霞ヶ丘・垂水・滝の茶屋・須磨・板宿・高速長田から終着駅まで各駅停車へと設定しました。逆に、姫路方面の最終特急として、東二見以西を各駅停車とし、高砂止とした「高砂行き特急」も設定されました。
他、須磨浦公園まで乗り入れていた阪急車両が、平日の朝夕ラッシュは特急、それ以外は普通が乗り入れるようになりました。
 
平成元年には昭和62年ダイヤを基本に、一部を修正するダイヤ修正が実施されました。通勤特急が東二見で特急に追い越されていたのを中止(通勤特急をそのまま先行、普通が特急と緩急接続)し、藤江駅待避線の供用開始により普通と通勤特急の緩急接続を行うダイヤに変更。それにより通勤特急の所要時間が大幅に短縮されました。(それ以外は以前のダイヤと変わらず)
 
平成3年には、明石・人丸前の高架化に合わせてダイヤ改正を実施。6両編成特急の登場、特急の明石―東二見間でのスピードアップ(110km/h運転開始)、神戸高速線での通過運転(大開、西元町、花隈を通過。さらに山陽普通も含めて阪神西灘も通過)、従来の通勤特急・下り高砂行き特急を統合して「S特急」に改称されました。網干線の姫路乗り入れもこの頃に廃止されました。
阪急の乗り入れ車は、1時間に3本のうちの1本が東須磨止まりだったのが、この改正で須磨浦公園まで乗り入れるようになりました。
 
そんな時代の、駅掲示時刻表。昭和60年代に駅名標識などの各種標識が新デザインに変更されるのに併せて、時刻表も横軸式に大幅変更されました。平日は水色、休日は黄色を背景としながら、時間軸をカラーと白のツートンで表示したデザインとなりました。又。時刻表の見出しは従来「当駅発車標準時刻表」から「平日用(休日用) 標準発車時刻表 (○○方面)」に変わっています。
 
各種標識の新デザイン化は、主にホームで行われ、外枠まで新品に取り替える程の徹底ぶりであり、まさにバブルの象徴でした。
 
一方で、コンコースに関しては旧来の電光掲示をそのまま使用しており、時刻表に関しても旧来の縦軸式をしばらくそのまま使用していた駅が殆どでした(以降に改築等により、駅構内も含めて新デザイン化した駅も存在する)
 
写真は板宿駅ホーム。時刻表単体で撮影した写真が存在しない故、このようなぼやけた写真しか無いのが心残りである。
駅掲示時刻表写真(クリックすると写真が表示されます。)
 005(姫路駅ホーム 神戸方面 平日)
 
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